武田考玄『四柱推命による姓名学入門』より抜粋

明治維新以前は、武士のみが「姓」を名乗ることを許されていたことにより、姓名判断、あるいは姓名の良し悪しや吉凶をうんぬんするようなことはありませんでした。
しかし、明治維新以降(明治八年)姓名を名乗ることが義務付けられてより、庶民の中から「姓名が人の幸不幸に係わるのではないか」という意識が高まったのは当然のことと言えましょう。
その要望に応えるものとして、昭和初期に「姓名判断」が生まれ、一大ブームを巻き起こしたのです。戦時中一時途絶えたものの、現在でも、我が子の幸せ多かれと願う親心に便乗した姓名の本が、次から次へと出版されているのが現状です。
それらの多くは、単に数に吉凶があるものとして、姓名の画数のみに吉凶を配しております。しかし、多少の理由付けはあるものの、合理的・理論的背景のあるものではありません。確かに、姓名はその人に一生付いて回るものですから、その人の吉凶・幸不幸に係わりがあるのではないか、という着眼点は正しいのですが、個々人の生命エネルギー、つまり個人の運命というものを追求することなく、安易に姓名の画数のみが人の幸不幸を決定するとしたところに、理論体系の欠如に起因する矛盾、誤謬があるのです。
「武田理論」による四柱推命姓名学では、まず、その人の「生命エネルギー」(四柱八字)が、どのような運命をたどる可能性があるのかを知ることから始まり、その上で、その人の生命エネルギーにとって、どのような姓名が良いか、あるいは悪いかを識別するのです。
文字の画数ひとつひとつを「姓名エネルギー」と考え、生命エネルギーに対して、姓名エネルギーが、どのように係わっていくのかによって、運命という一生の流れの中の起伏に対して、プラスになる姓名を付けるのです。

武田理論による姓名学は、その人個人の「生命エネルギー」がどのようなものか理解することが先決であるため、まず、姉妹編である『未来予知学としての四柱推命学入門』を読んでいただく必要があります。難解に思われるかも知れませんが、「学問」である以上、多少の努力はしていただけかなければなりません。しかし、完璧に近いまでの秩序体系ある、矛盾なき、武田理論の四柱推命学ですから、生まれて来た愛児に必ず良い名前を付けることができますし、ご自身の名前の改名、また、社名などの撰名にも大いに役立つものと確信しています。